嚴定院概要
山号 | 慧光山(えこうざん) |
寺号 | 嚴定院(ごんじょういん) |
宗旨 | 日蓮宗(にちれんしゅう) |
住所 | 〒146-0082 東京都大田区池上2-10-12 |
TEL | 03-3751-6767 |
FAX | 03-3755-2325 |
嚴定院の歴史
歴史
大正十二年九月、関東大震災により本堂、庫裡が崩壊し、過去帳を除いて古文書、諸記録の一切を消散してしまいましたが、昭和六十二年、東京都指定文化財である本門寺多宝塔の調査に関連して、その裏山が発掘調査され、そこから発掘された題目板碑により、当山の寺歴が明らかになりました。
板碑には成就院日尊上人の名と宝徳三壬申年(1451年)の年号が刻まれており、この頃(室町時代初期)の古図に「厳成院」として記されていることから、当山の開創がその頃にさかのぼることは確かで、あわせて過去帳をたどると初祖日尊上人以来、中興二十一世禅定院日逞(享保八年)、さらに近来の中興ト仰がれる四十世久成院日芳上人(大正五年)を経て現在まで、連綿として法灯が継承されてきたことがわかります。
なお、この板碑は縁泥片岩製で高さ46cm、幅16cm 、 厚さ2cm 、 造立当時は題目と両尊の名に金箔がほどこされたことがうかがえ、しかもその形をほぼ完全にとどめており、文化財としての価値も大きいところから、現在本門寺の霊宝殿に格護されています。
日尊上人について
当山はその昔、成就坊と称し、日蓮大聖人の高弟で池上本門寺の第二世となった日朗上人の弟子・日尊上人が、 文保二年(1318年)、本門寺ノ西麗、霊峰富士を望む地に草庵を結んだ時にはじまります。
正応二年(1289年)の春のことです。鎌倉比企谷にあって布教を続ける日朗上人のもとに、一子を連れた気品のある女性が訪れました。
「この子は隆王磨と申します。父、高梨正徳は先の討幕の戦いで討死をいたし、磨は幼な心に仏の道を求めております。ぜひともお弟子の一分に・・・。」
当時日朗上人のもとには諸国から道を求める英僧が集まってきていました。その中には後に「朗問の九鳳」といわれ、日蓮教団の形成に大きな役割を果たすことになった日像、日輪、日善、日伝、日範、日印、日澄、日行、朗慶などもありました。
「幼いながら感心な御子じゃ。僧侶への道は厳しいが退転はすまいな。」
「はい、決して退転や修行の怠りは致しません。どうぞお弟子にしてくださいませ。」
日朗上人は見るからに 利発そうなこの男の子が気に入り、入門を許しました。この隆王磨が後の日尊上人です。
やがて、縁があってこの地に庵を結んだ日尊上人は、大坊本行寺の日澄上人と共に祖廟(日蓮聖人の墓所)を守り日朗上人に仕えること師厳道尊、行学の二道に精進して、片時も怠ることがなかったといいます。
嚴定院本堂
境内
宗派について
日蓮宗の宗旨
名称 | 日蓮宗(にちれんしゅう) |
宗祖 | 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) |
開宗 | 建長5年4月28日(鎌倉時代 西暦1253年) |
題目 | 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう) |
経典 | 妙法蓮華経(法華経) |